京都・和束のみどころ

修験者の山寺「鷲峰山・金胎寺」

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金胎寺(こんたいじ)は、もともと山伏の修行場で、今から1300年前に開山したといわれています。


奈良時代には、平城京の北鬼門の守護寺として栄えました。
しかし、14世紀はじめの南北朝の争いの末期、鎌倉幕府軍に追われる後醍醐天皇が、この金胎寺に居留、巻き返しを図ろうとする際に、寺は焼き討ちにあい、多くの建物を失いました。
その後、明治維新の廃仏毀釈などで、往時の面影を多くは見ることができませんが、いまでも滝行ができる修行場などは見ることができます。
また、金胎寺のある鷲峰山(じゅうぶさん)は、青森・恐山(おそれざん)などの山々と共に、「日本百霊山」の一つに指定されています。
▼金胎寺についてのリンク
>>金胎寺・他宝塔について
>>鷲峰山・金胎寺について
>>修行場のようす
>>鷲峰山を登る
>>金胎寺・ウィキペディア
>>京都うらみち案内
>>古地図でみる金胎寺

この記事を書いたおぶぶメンバー-Author Profile

松本 靖治
松本 靖治
シングルオリジンの荒茶(あらちゃ)の魅力、そして喜多をはじめ茶産地・和束に生き、茶に命をかける人々の情熱に感激し、おぶぶの立ち上げより参画。

まだ世界に知られていない、日本茶の魅力を世界に伝えるべく、文字どおり世界じゅうを駆けめぐる多忙な日々を送る。

おぶぶの伝道師。日本茶インストラクター第7期。1974年、奈良出身。

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